アートセラピーの解釈をして気がついた自己否定のはじまり【へっちゃらだもん】をやめる!
人の性格形成に、母親の影響が大きいということはだれも疑わないと思います。
私は20歳のころから、自己表現が下手な自分のありかたが、どうも母親の影響ではないかと思うようになっていました。
母は明るい人で、台所仕事をしながら、よく大きな声で歌を歌っていたのが印象に残っています。
母から、なにか悪いことをされた記憶はありません。
何もしてもらえなかったという記憶もありません。
おいしい食事を毎日作ってもらい、たくさん話を聞いてもらっていました。
それなのになぜ?
風景構成法に描いてしまった、おままごとをする女性と女の子は、母と私の何を表しているのでしょうか?
記事内目次(クリックでジャンプ)
アートセラピーに表れる母と娘の関係性~母は明るくて楽しい人、私は内向的でおとなしかった~
私が育った家は田舎にあり、大きな家だったので家事の動線が長く、母は離れや屋上などを毎日すごい速さで動き回っていました。
私は母が大好きで、中学生になっても夕食後はいつまでも母を独占して、話を聞いてもらっていました。
私は内向的でおとなしい性格でしたので、母はそれをもどかしく感じているようでした。
小学低学年のころ、友人が帰ったあとに「どうしてあんなに言われたことをやってばかりいるの!ちゃんと自分のやりたいことを言いなさい」と叱られたのを覚えています。
学校でもできるだけ目立たずに過ごしている方が楽でしたが「もっと積極的に色々な活動に参加してほしい」という母の気持ち考えると、居心地の悪い思いをしていました。
社会に出てからも、自己表現がうまくできずに人生が楽しめない感覚がありました。
自己啓発や心理の本を読んでいると、これは自己肯定感が低いという状態なんだと分かりました。
そこで思い当たったのが、子供のころ大好きな母が私の性格を否定していたから、私は自分を認められないのではないか?
内気で気が弱くても、そのまま母が愛してくれていたら、案外今ごろはしっかり自己表現できる人間になれていたんじゃないか?
という考えでした。
それでも、その頃はその考えをそれほど重要視せずに「なんだか逆説的でおもしろい」くらいに思っていました。
あれから30年が過ぎて、今度は私と私の娘の問題としてこのことが浮かび上がってくることとなりました。
あの時先送りしてしまった問題は、もっと掘り下げておくべきだったのです。
風景構成法に描かれた母子の姿~して欲しいのにしてもらえなかったおままごと~
以前のブログにも書きましたが、風景構成法の左下は過去を表します。
私の風景構成法の絵には、左下に空白が多いことが何度もありました。
今思えば、前回の絵で、土手にしがみつくように生える草木が描かれていたのが、この問題に向き合う覚悟の表れだったようです。
今回の風景構成法では、その場所におままごとをする女性と女の子が描かれていたのです。
女性は、私の母に似ています。
2人とも笑っているのですが、目のところに力が入りすぎてサインペンがにじんでいます。
自分でも描きながら、「笑ってるはずだよね」と頭で考えてしまっていました。
私は、母とおままごとをして遊んだ記憶はありません。
いっしょにおままごとをしたいと思った記憶もありません。
何故でしょうか?
私の母は、おいしい料理をたくさん作ってくれて、明るくて、楽しいレジャーに連れて行ってくれる人だった。
でも、がんばってお願いしても、ひな人形を買ってくれませんでした。
母が挙げた理由は納得できなかったけれど、あきらめました。
私はいつも食べすぎだったけれど、「もうやめておきなさい」とたしなめられることがありませんでした。
それで私は、度々下痢をしていたのですが。
みなさんは、「そんなことが何なの?」と感じられますか?
自己肯定感が低い人の原因が母子関係にあるというような情報を耳にするたびに、私は母と良い関係だったのになぜ?と不思議に思ってきました。
子供は、想像以上に親の都合に合わせて、あきらめているものです。
そして、それが当たり前だと思っています。
私の問題も、そこあります。
例えば、罵倒されたり無視をされたりということであれば、これはつらい、これは悲しいと自覚できます。
だから、相手を批判する気持ちを持つことができます。(親に罵倒されたり無視をされたりして育つことの方が、のちに影響が少ないと考えているわけではありません。ご了承ください。)
そうではなくて、親の価値観を(無自覚に)押し付けられて、本当の自分の心を否定して育った場合はどうでしょうか。
親のすすめに従って、この方が良いのだとあきらめることが続いた場合はどうでしょうか。
自分の心を否定していたことにも気が付かない。
私の場合は、そうでした。
母を責めるのではありません。
私はもう大人なのだから、自分の子供のころのことを思い出して、捉え方を修正してゆけば良いのです。
私は母とおままごとをしなかった。
それは母がおままごとをしてくれなかったからで、私がおままごとをしたくなかったわけじゃない。
それを自覚することから始めるのです。
私の風景構成法に表れた母子関係~今さら母を責めるのではなくて~
今回のブログは、私の人生の振り返りになってしまいました。
みなさんの中にも、お母様との関係の問題に気が付かないで過ごしてこられた方がいるのではないですか?
「世の中には本当につらい子供時代を過ごした方もいるのに、ささいなことで文句を並べるのはわがままだ」というご意見もあることでしょう。
前章の繰り返しになりますが、今さら母親を責めるのではありません。
自分の気持ちを整理して、自分で自分にさせていたやせ我慢をやめるのです。
私の場合、風景構成法に描いた絵がそれを後押ししてくれています。
誰でも、よりよく生きる自由があります。
一緒に頑張りましょう!
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最後までお読みいただきありがとうございます。
2021/04/23